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34話 【Optimum Solution!】


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34話 (潮) 【Optimum Solution!】



ユナイソン・ネオナゴヤ店、バックヤード棟。
4階401会議室のドアの前に立つと、<11時~ラッピングレクチャー>と印字されたA3用紙が貼ってあった。
とうに予定時刻を過ぎていたので入室を躊躇っていると、透けたガラス越しに私の影が映っていたのだろう、ドアが押し開いた。
既に顔馴染みとなったラッピングの講師、糸川めぐむが顔を覗かせ、私を見るなり「大丈夫だからほら、入って」と短く告げる。
ホッと安堵しながら「すみません」と謝り足を踏み入れると、私の方を見る視線が1つ2つ、5つ6つ……。今回の参加者は15名ほどか。
「各テーブル3名ずつのグループになって貰っているから、潮さんは柾さんたちのテーブルに行ってちょうだい」
柾チーフを見付けテーブルに近付くと、同じグループのもう1人は麻生チーフだった。
グループは来た者順に組まれたらしく、柾さんと麻生さんは私の前、つまり11時ギリギリに滑り込んだようだ。
4階で一番広い部屋を宛がわれたのは、ラッピングの練習ということで、大きな包装紙を一面に広げるからである。
1年に1回のスパンで行われるこの講座は、1週間どこでもいいので空いてる日を見付け、全員参加が義務付けられている。
にも関わらず遅刻してしまったのは、直前に緊急を要する値段変更の電話が入ってしまったからだった。
「……絶望的ね、潮さん」
糸川講師は「前回よりもヒドいじゃないの」と私のラッピングの腕の悪さを嘆いたものの、個人レッスンすら施さずに他のテーブルへ行ってしまった。
ようは見捨てられたのだが、気を落としてはいない。私がラッピングを必要としない裏方事務職に就いていることを、彼女はとうの昔に御存知だ。
そんな彼女は文具売り場に配属された新入社員を指導すると決めたようだった。
いつまで経っても技術を活かせられない不器用者より、のびしろあり余る新人を見込みたい気持ちは、私にもよーく分かる。
「どうしたらそんなに綺麗に包めるんですか?」
恨みがましい言葉は柾チーフと麻生チーフに向けてのものだった。
テーブルの上に、早いうちからドンと置かれた完璧な球体は、柾さんがラッピングしたバスケットボール。
丸みを帯びた品物を、どのようにすればこんなに綺麗に巻けるのだろうと唸ってしまうほど綺麗な出来上がりだった。
「慣れだな」
さらりと言われてしまってはぐぅの音も出ない。長年培った技術には脱帽だ。
麻生チーフの前にも、完璧な贈り物仕様の品が置いてある。こちらも出来上がりは早かった。
日本酒のラッピングに淡い色の不燃紙を2枚使い、2本のリボンで丁寧に結ばれていた。
色の組み合わせ方が絶妙で、センスのよさが際立っている。これを贈られた側は嬉しいだろうな、と私は思った。
思えばチーフ方の色彩感覚は普段使いにも応用されていた。ネクタイ然り、スーツ然り。なるほど、日々の賜物でもあったわけだ。
私はと言えば、基礎中の基礎、簡単なハズのキャラメル包みで苦労している。左右ちぐはぐで、不格好極まりない。
既に1人6種のノルマをこなしてしまっている2人のチーフは、何が楽しいのか私が繰り出す悪手をじっと見つめていた。
まったく、どんな羞恥プレイだこれは。
「柾さんたち、手が空いているなら潮さんに教えてあげてくれない?」
糸川講師の声が飛んでくる。どうやら気には掛けてもらえているらしい。
1つ目の課題でヒーヒー言ってる私の手首を「ストップ」と言って掴んだのは柾チーフだった。
「こんなぐしゃぐしゃな紙では、お客様から突き返されてしまうぞ」
あぁでもない、こうでもないとやり直していたものだから、包装紙は既にボロボロになってしまっていた。
柾チーフは新しい紙を手繰り寄せると、ポイントを要所要所押さえながらコツを伝授してくれた。お陰で1つ目はあっさりクリアできた。
たまに躓くと、麻生チーフが違う角度から見たアドバイスをくれるので、2つ目3つ目と順調に進めていくことができた。お2人に感謝だ。
始めのうちは静かだった室内も、今ではどのテーブルからも和気藹藹としたムードが漂っている。
講座時間は90分。1人6種の課題が終わった社員たちが今度は互いの腕を競い合い、或いは包装の仕方を交換しあっていた。
今日の糸川講師の狙いはソレだったようで、敢えて自ら壇上に立つような真似はせず、あくまで順番にテーブルを見て回るのみだった。
苦戦していた私も、なんとか課せられた6種を終わらせることが出来た。順番で言えば、誰より遅いゴールだったに違いないが。
麻生チーフが「簡単なラッピング教えてやるよ」と言って新たな包装紙を私に手渡してくれた。
辟易しながら眉を寄せて無言の抗議をすると、やれやれと首を竦める麻生チーフである。
「それより、お2人に訊きたいことがあるんです」
これはチャンスだ。八女先輩が私にくれた90分。決して無駄にはしない。――ラッピングの所為で、たったの20分しか残されていないけれども。


*

本来ならこの講座、今日は八女先輩が出席する予定だった。
今朝になって柾、麻生、両チーフが揃って参加することを知った八女先輩は、私に「日にちの交換をしないか」と持ち掛けてきた。
「どういうことですか?」と尋ねる私に、八女先輩は「今日は、相談に乗ってくれる適任者と話せる、いい機会だから」と言う。
すぐにピンときた。八女先輩は杣庄から事情を聞いたに違いない。
杣庄のことを『口が軽い男』などと思ったことは一度もない。私は彼を信頼している。率先してネタを提供するような男ではない。
大方、異変を嗅ぎつけた八女先輩が杣庄に問い質したのだろう。杣庄には口止めしなかったし、筒抜けになるのは時間の問題だと分かっていた。
実際伝わってみるとどうだろう。不快感はない。むしろ八女先輩が案じてくれることを心強く感じている自分がいた。
責められてもおかしくないのに、杣庄も八女先輩も私の本心に耳を傾けてくれた。それがとても有り難かった。
そのうえで、八女先輩は背中をひと押ししてくれたのだ。だからこのチャンスを有難く頂戴し、活かさなければ。
私は唾を飲み込んで咽喉を潤した。2人のチーフにだけ聴こえるように囁く。
「すみません。彼氏がいるのに他の人が気になるんです。どうすればいいですか? お願いです、アドバイスをください」
2人の視線が同時に注がれた。驚いたように目を見開いたのは麻生チーフで、ジッと私を見つめているのが柾チーフだ。
「不破か」
柾チーフに速攻で突き止められ、ぐ、と詰まってしまった。さすが柾チーフ。恋愛の悩みはこの人に相談すべし、という推理は正しかった。
「僕や麻生が答えたら、君はほいほい従うのか?」
「……分かりません。参考までに……訊いてみたくて」
お世辞にも柔らかいとは言いがたい柾チーフの声音に、さっきまでの勢いはどこへやら、私は完全に委縮してしまった。
柾チーフなら、こんがらがった恋愛への対処法を熟知しているに違いないと踏んだ。それは間違いないだろう。
ただ、私は尋ね方を間違えた。あまりに不作法な聞き方だった。
「あの……、さっきの質問の仕方、とても失礼な言い方でした。申し訳ありません」
「気にしなくていい。過去の女性遍歴に関する黒歴史を思い出して、軽く自己嫌悪しただけだ」
空咳をした柾チーフは、「どういうことか説明してくれ」と促す。
私はなるべく客観的視点を心掛けて話そうとしたものの、随所に自分の想いを差し挟んでしまうのは感情が先行している証拠。
冷静になれと言い聞かせながら一連の流れを話し終えると、柾チーフは扇子よろしく口元の前に包装紙を宛がい、密談風に言った。
「君の心が不破に向けられていると知った伊神君は、心の奥から君を信じることが出来なかったんじゃないだろうか。
君にはむごい仮説で申し訳ないが、壊れるきっかけは君側にあったかもしれない。伊神君は君の幸せを願って身を引こうと考えたのではないかな」
私が考えまいとしていた一番最悪のケースを容赦なく突き付けられてしまい、くらりと目眩がした。
伊神さんにかけていた負担は相当大きかった。それでも彼の笑顔が見たくて、私は貪欲に欲しがった。
「私の所為だ……。私の所為で、伊神さんを傷付けてしまったんだ……」
「そんなに落ち込むなよ。潮さんなりに足掻こうとしてるんだろ? 責めちゃダメだって」
「僕からアドバイスするなら――」
柾チーフの目を見つめ返しながら、私は首を振った。その先を続ける必要はないのだという意味を込めて。
聡い柾さんは口を噤ぐ。私の意思を酌んでくれたのだ。
「……ありがとうございます。人生の先輩方」
「役に立てれたならいいんだ」
「俺は何もしてないがな」
「麻生チーフは道を踏み外しかけた後輩のために励まして下さいました」
「そうかい? ならよかった」
「潮さん。僕からも1つ質問を」
「何でしょう」
「千早さんと不破について、何か知らないか?」
「……すみません。その件に関しては、私も情報が欲しいくらいです」
「そうか、ありがとう」
残り時間の5分は、3人が3人とも物思いに耽っていた。私が決着をつけなくては。そのために、現実と心の差を埋める行為を続けるのだ。
やがて糸川講師の解散を告げる声が響き、POSルームへ戻った。パソコンに向かいながら「おかえり」と声を掛けてくれた八女先輩を、背後から抱き締める。
「……どうしたの?」
「ありがとうございます、八女先輩」
「……どう致しまして」
頭を撫でる八女先輩は、それ以上何も言わなかった。私の覚悟は多分、伝わったのだろう。


2014.07.03
2020.01.29 改稿


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